京大出たのに“もったいない就職”した話

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京都

京大理学部卒で小さい出版社に就職した

京都大学理学部を卒業した僕は、新卒で出版社に入った。社会に出て10年も経ってるから、いまさら感満載ではあるけど、ちょっと振り返ってみる。

その会社は、小さい会社だった。当時の社員数は250人くらいだったか。小集講みたいな大手も受けたけれど、全然受からず、7月も半ばをすぎてやっと内定をもらえたのがその会社だった。当時からとっくに斜陽産業と言われていた出版業界だったけど、学生からの人気は高くて、京大卒()と言えど就活楽勝なんてことは全然なかった。だもんだから、僕としてはまあまあ、納得の行く就職先ではあったのだけれど、周りの反応は違った

「京大の、それも理学部出て、なんでその会社(小さい出版社)なの?」

一緒に就活してた友だちや部活仲間は祝福してくれたものの、そういう反応はごく一部。同級生や親戚、地元の友だちやらからは「なんで?(もっといい会社入れただろうに)もったいない」と言われることが多かった。ここでいう「いい会社」は人によって意味が変わる。大学の同級生にとっては「研究職とかせめてメーカーとか、もっと理系の知識が活かせるところ」だったし、親戚や地元の友だちは「もっと給料のいいところ」か「もっと有名なところ」 だった。

知識が活かせて、有名で、給料がいい会社に、イマイチ惹かれなかった

でも僕は、理系学問のモノになるまでのリードタイムの長さに萎えていた。基礎研究とか、論文になるまでに最低数年、製品とかになるのはそこからさらに10年20年かかる。飽きっぽい自分にはとても無理だと投げ出した。そんな身だから、中途半端な理系知識にすがるつもりはなかった。給料も、力試しとして稼ぐことには興味があれど、約束された平均給与の多寡にはあんまり興味がなかった。むしろ、平均低いところからスタートして超大手以上に稼げたらかっこいいじゃんと思っていた。有名かどうかは、もっと興味がなかった。根がひねくれてるのか、多数派に所属するのはあんまり好きじゃなかったから。

それよりも、数週間とか数ヶ月で成果物が出来上がって、 給料の変動可能性が高そうで(今風に言うとボラリティー?)、個人の名前が前に出る、そんな働き方に興味があった。本も雑誌も好きだったし。

すでに持っているもの起点で考えるほうがもったいない

そんな議論をする以前に、そもそも「せっかく京大理学部に入ったのだから」という発想がダサいし、むしろもったいないと思っている。学歴を手に入れるために努力したのは過去の自分で、今の自分ではない。 だから、自分の努力ではなく、親から相続した財産に近い感覚がある。それに縋って生きるのはダサい。

加えて、京大卒の肩書きをキープするためになにかしているかというと、何もしていない。言わば、ほっといても劣化しない、維持コスト0の財産だ。そんなもの、大事に大事に意識して生きてたらもったいなくないですか? どうせ減らないんだから。

学歴を持て余してる学生さんへ

別に成功者でもなんでもない人間なので、エラそうに言えることはなにもない。自分なりにロジック持って入った出版社も、うまく行かずに1年で辞めてしまった。その後も、そのときそのときの仕事や職場に不満を持ったことはある。けど、「なんでコレやってるんだろう」と思ったことはない。自分で選んで、自分でしんどい思いをしてるんだという自覚は常にあった。よく分かんない「もったいない」に影響されずに働いてきたからだと、自分では思っている。

あんまり無責任なこと言っちゃっても良くないかもだけど、学歴なんて無視した選択しちゃえばいいんじゃないかなと思うんです。それができるのは、学歴があるあなたたちの強みですよ、きっと。

えとみほさん(@etomiho)もこう言ってますし。

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