働き方について考えることは、“意識が高い”のか?

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働き方

サラリーマンを辞めることに、覚悟なんて特になかった

サラリーマンを辞めて個人事業主になったというと、すごい覚悟をしたように思われることがある。実際はむしろ逆なので、ちょっと居心地が悪く感じる。

逆というのは、サラリーマンを辞めたといっても、定期契約・固定給の仕事で食い扶持を確保してるから。明日の仕事がないと困ることもないし、自分で営業をすることすらない。もっというと、ダメならすぐ会社に戻ろうとも思っている。それくらい、マイペースに、ゆる~く会社を辞めた。

田中ヤスヒロが働き方について考える理由


パラリーマン(パラレル・サラリーマン)なんて勝手に名乗って、一般的ではない働き方をしていると、いわゆる“意識高い系”だと思われがちだ。僕自身は、意識が高いことは特にマイナスではないと思っているので、そう言っていただいても嫌ではないのだけど、実際問題、意識は高くないから否定している。

僕が働き方について考えるのは、ごくシンプルに、今の自分にとって気持ちいい働き方がしたいからというだけだ。すごく成長したいだとか、誰かに影響を与えたいだとか、そういう想いは正直言ってほとんどない。言ってみれば快楽主義的なモチベーションでやってることなのだ。

働き方について考えることは、意識高くなんてない

で、タイトルへの回答なんだけど、僕は「自分自身の働き方について考えることは、意識高いことでもなんでもない」と思っている。恋愛に置き換えてみたら、分かりやすい。理想のタイプについて考えるのは当たり前のことだし、婚外恋愛とか、恋愛不要論だとか、一般的ではない恋愛スタイルについて話しても、珍しがられることはあっても、意識高いと言われることはないだろう。

仕事だって、恋愛や結婚と同じかそれ以上に人生に影響を与えるのだから、それについて真剣に考えることは普通のことだと思う。自由恋愛が浸透したのと同じように、働き方も自由になってきた現代なのだから、なおさら。

働き方を啓蒙しようとするのは意識高いかもね

じゃあなぜ、働き方について語るのが意識高いと揶揄されるのかというと、考えた結果を他人にも広げようとする人がいるからだろう。働き方を通して、世の中を変えてやろうという姿勢は、確かに意識が高いかもしれない

そういう人の割合が多すぎると、働き方について情報発信している人全体が意識が高いように見えてしまう。そうすると、情報を受け取る側は、かえって働き方について考えることに抵抗を覚えるんじゃないだろうか? 意識高い系と言われることを嫌がる人のほうが多いから。

だからといって「働き方の啓蒙してるヤツはやめろ」という気はない。上でも書いたように、自分の働き方について考えることはいいことだと思うから、そのきっかけをつくってくれるような、声の大きな人の存在も必要だとは思う。だからどちらかというと、意識低い系かつ新しい働き方をしている人が、ゆるめに情報発信をし薄めていくのがいいんじゃないかなと思う。啓蒙ばっかりの情報じゃ嫌になるから、「自分はこうだよー」くらいのラフな情報の割合が増えるといいかなと。このブログも、そんな感じの役割を目指してます。

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